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薔薇十字団に愛を注ぎ込むブログです。
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第2話です。

榎は一度懐に入れた人間に対しては寛容だと思います。








「・・・いくよ。力を抜いておいで」
「あ、大将・・・」

薄い煎餅布団の上で彼の背中に腕を回すと、耳元で「違うだろう」と囁かれた。

「呼んでごらん、“守彦”」
「あ…礼二郎さん…」
「そう。いい子だね」

体を繋げて優しく揺らされて、鳥口は何だか切なくなってしまう。
榎木津に抱かれても、女のように可愛らしい声が出る訳でもない。
自分は男に好かれるような紅顔の美少年でもないし、守ってやりたくなるような
華奢な体付きでもない(その点においては寧ろ益田の方が適任である)。

本来ならば体の最も忌むべき排泄器官で相手を受け入れ、そこに注ぎ込まれる
彼の奔流を受け止めている。そこには何の生産性も無い。

ただ愛だとか恋だとか云う名目の下、彼の遺伝子を無駄に浪費しているに過ぎない。
そう考えると遣りきれない気持ちになって、わざと乱暴に相手の頭を掻き抱いた。

「今日の鳥ちゃんは、いつもと違うねぇ」
「そんな事ないですよ…いつもと一緒です」
「そうかなぁ」

煙草を吸いながら榎木津は寝返りを打つ。鳥口は煙草を吸わないから、
この部屋の灰皿は彼専用に鳥口が用意した物である。

「さっきの事、まだ気になってるんだろう。僕に隠し事は出来ないよ」
「別に…」

“さっきの事”とは夕暮れに出会った親子連れの事だと分かっているから、
鳥口は言葉を濁す。自分の今の不安定がそこから来ている事は
百も承知で、それを認める事が出来ない。

「“自分が女だったら榎木津さんの赤ちゃんを産んであげられるのに”?」
「・・・」
「あのね、僕が本当にそこまで子供が欲しかったらね。鳥ちゃんと付き合いながら、
別の女を適当に見繕って子供を産ませるよ。勿論、君にバレないように、どこか遠い所でね」
「ッ!!」

あんまりな榎木津の言葉に、鳥口は思わず伏せていた顔を勢い良く上げる。
そんな鳥口の必死な態度に榎木津は笑いながら煙草を灰皿に押しつけた。
・・・まるで悪戯が成功した子供のような顔だ。

「“そんなの嫌だ!”って顔に書いてあるよ?」
「なッ!からかわないで下さいよ!!」

鳥口が流石に抗議しようと声を出すが、榎木津は気にせず続ける。

「何度も言うけど、僕は赤ちゃんが“好き”なだけであって、別に自分の子供が
“欲しい”訳じゃないぞ。寿司が好きな奴が全員板前になる訳じゃないだろう。それと一緒だよ」
「それはそうですけど…」

それにね、と2本目の煙草に火を着けながら榎木津は続ける。

「僕は赤ちゃんだけが好きな訳じゃないぞ。僕はにゃんこも大好きだ」
「はぁ、師匠の家に猫目当てで連日通い詰める程ですからねぇ」

何故ここで猫の話が出てくるのだ、と鳥口は多少訝しい気持ちになりながら相槌を打った。
彼の言葉はいつだって筋や統合性を著しく欠いた支離滅裂な事が多いのだ。
しかし次の瞬間、榎木津の口にした言葉によって鳥口はドキリとしてしまう。


「にゃんこも赤ちゃんも実に良いよ。彼らには綺麗なモノばかり“視える”からね。実に素敵さ」

…綺麗なモノ。

「まずは赤ちゃんだ。視えるのはお母さんの笑顔が一番多いな。あとは家族。道行く人。
みんな微笑ってる。しかめっ面で赤ん坊を見る人は居ないからねぇ。
あとは乳母車から見える景色だな。さっきの子は公園のブランコと木漏れ日と
散歩中の犬が“視えた”よ。もさもさの茶色い犬だ」

「にゃんこは自分の行きたい所に行って、やりたい事をするから実に自由だ。
しょっちゅう紐で繋がれて飼い主の歩く方向にしか進めない犬とは大違いだね。
京極の家の石榴はよく神社の陽だまりで寝ているよ。きっとお気に入りの場所なんだな。
あと白黒のブチのにゃんこと、おデブの三毛猫の友達がいるんだ。いつもそいつらが“視える”」

「・・・」

「人間の大人はつまらないモノばっかり視えるからね。たまに本気でウンザリするよ」
「大将・・・」

鳥口は言葉をそれ以上繋ぐ事が出来ない。自分のつまらない嫉妬から、
まさかこの展開に話が転がるとは予期していなかった。





鳥口は榎木津の「視える能力」について、詳しくは知らない。
他人の記憶がどの程度鮮明に浮かび上がって彼の瞳に映っているのか、

また、視られている当人にしても、例えば昼飯に何を食おうか考えている人間と
すれ違った時、頭上にざる蕎麦やライスカレーが浮かんで見えるのか、
はたまた全く関係ない過去の映像が視えるのか。

そしてそれらに色は付いているのかモノクロなのかーーー。
改めて考えると、何一つ自分は彼に聞いた事がない。

中禅寺から彼の「特異体質」について聞かされた時、確かに非常識な能力だと思った。

それでも決して嘘だとは思わなかった。自分は世の中の全てを
知っている訳ではないからだ。そして目の前の黒衣の男は常に
「この世には不思議な事など何もない」と口癖のように言っているのだし。





血液型にはABO以外に「ボンベイ」と云う型があると聞いた事がある。

それは数百万人に一人生まれるか生まれないかの非常に稀な確率で発生する
突然変異の血液型なのだそうだ。その存在を知らぬ者の方が世の中には多い。
自分も人に聞くまで知らなかった。確か、その特異な血液型の人間が輸血が
必要な事態に陥った時に、その血液を“人質”に取って(血液相手にこの呼び名は
おかしいのかも知れないが、生憎おあつらえの言葉を鳥口は知らない)身の代金を
要求した事件が外国で起きたとか云う話だった気がする。

鳥口はそれを聞いた瞬間、当事者も随分と厄介な体に生まれたものだ、と思った。
普通にABO型で生を受けていたならこんな事件に巻き込まれずに済んだものをーーーと。

しかし本人の望む望まないに限らず、そのように生まれてしまった以上、
これはもう仕方ない事である。背の高い低いや顔の醜美など、生まれつき
本人の努力だけではどうしようもない事は山ほどあるのだ。
当人はその中からデメリットを受け入れ、メリットを見出して生きて行くしかない。
「そう言うものだ」と受け入れて行くしか無いのである。

榎木津の性格が奇矯なのは、あの体質が齎している部分が大きいと鳥口は思う。
しかし、実はあの性格だからこそ、あのような特異体質でも発狂もせずに
周囲の人間とギリギリのバランスを取って暮らしていられるのかも知れない。
そもそもこんな事は当人にしか分からない事であり、他人が推し量るには
まるで無意味な、卵と鶏の水掛け論なのかも知れないが。

(少なくとも、自分だったら耐えられないだろうなーーー)

鳥口は想像する。
群集の頭上に、その人数と同じだけの活動写真のスクリーンが浮かび、脈絡もなく
映像が切り替わって行く。そこに何が映るかは分からない。予測する事も出来ず、
選択の余地もない。見たくもない場面が映し出されても目を逸らす事も許されず、
通り過ぎたと思った次の瞬間、再び何かに衝突するのだ。

常人の凡庸な神経ではとても耐えられないだろう。
そんな状況下に榎木津は一人、逃げ出す事も目を閉じる事も許されず、
生まれた瞬間からそこに立たされ続けている。榎木津の今までに味わった
深い絶望や孤独、胸に抱いている疎外感や哀切は、平凡な自分などには到底計り知れない。





「鳥ちゃんは良いよ。一緒にいると楽なんだ」

彼がそう言って笑ったのは初めて同じ朝を迎えた時だった。
あの時は確か自分が「どうして僕なんかを選んだんですか」とか、
そんなような事を聞いた気がする。それに対する、彼の答えがそれだった。

最初、自分は意味がよく飲み込めずに不思議な顔をして榎木津を見返したのだ。
すると彼は、自分が今まで知りうる中で最も優しい顔をして、

「君は僕を、崇拝も嫌悪も特別扱いもしないもの。だから、一緒にいて気持ちがいいよ」

と言い、無垢な子供のような、それでいて全てを悟った
老成した賢者のような深い色の瞳で微笑った。

その顔が、自分には何だか酷く儚く思えて、このまま目の前の彼が
透き通って朝の光に紛れて消えてしまうような気がして、その飴色の髪を
ギュッと幼い子にするように抱き締めたのだ。

「僕は・・・僕は大将みたいに頭が良いわけじゃないし、何でも出来るわけじゃないです。
でも、僕が大将に何か出来る事があるとすれば、それは、」

「・・・僕の大将を見る目だけは、これからもずっとずっと変わりませんから」

言った瞬間、鳥口は恥ずかしくなった。何を当たり前の事を言ってるんだろう、と。
そもそも相手を好きになったのは自分が先なのだ。そんな事、改めて言うまでもない。

しかし当の榎木津はからかうでも笑い飛ばすでもなく、例の、鳥口の好きな
“うふふ”と云う柔らかな笑い声を鳥口の腕の中で漏らし、静かに一言 、

「ありがとう。」

・・・と言った。

それで鳥口は益々堪らなくなってしまって、彼を抱いた腕に更に力を込めたのだった。


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