★自宅→印刷所まで約2時間。
オンリー原稿、無事に入稿して来ました~!本日、林檎を担当して下さったスタッフさんは
メチャクチャ優しくて丁寧なお姉さんでした。ただ、途中で原稿に一部不備があって、
その場で直す事になったのですが(予備の原稿用紙持ってて良かった!)、そのページが
モロに司氏と益田が組んず解れつしてるページで、
「ああぁッ!司さん、駄目です、そんなにしたら駄目、もう達っちゃう、達くぅ…!」
みたいな益田があっふんあっふん言ってるだけのページで、身を焼くような羞恥プレイに
いたたまれない林檎を気遣って、担当のお姉さんが「漫画原稿の方で、ここで18禁ページの
修正をなさる方も結構いらっしゃいますから大丈夫ですよ(ニッコリ)」とフォローして下さって、
更に穴があったら埋まりたい心境になりました(そう云うウッカリさん用のベタやホワイトは
常備してあるそうです。さすが大手印刷会社さまや・・・)。
★でも本当に最初の頃の林檎はキングオブ素人で「中綴じと平綴じって、何がどう
違うんですか?」とか「PP加工って何ですか?」みたいな質問を連発しても
嫌な顔一つせず、全て丁寧且つ非常に分かりやすく教えて下さって、しかも
「最初は誰でも不慣れですから。分からない事は遠慮せず、何でもどんどん
仰って下さいね^^」とまで電話で言って下さいまして。優し過ぎるぜポプルス印刷様…。
林檎はこれからも一生ポプルスさんに付いて行こうと思いました。
★福生からの帰り、私が18の頃に通っていた専門学校のある荻窪で途中下車して
(あ、中野と武蔵小金井でも降りましたw改札は出なかったけど)、学校のある通りを
ブラブラ歩いて当時の思い出に浸っていました。
私が通ってたのは劇団付きの俳優養成の専門学校で、私はそこでミュージカルと声楽を
専攻してまして。ミュージカルは自分のあまりの演技力の無さと踊りのセンスの無さに
ガッカリして辞めてしまったのですが、歌はずっと好きで、暫くは渋谷の分校に移って
ゴスペルとかボイトレをやってました。未だに地元のボランティアの合唱団に入っている位
好きです。一人カラオケも偶に行きます(友達居ない人か;)。
で、当時仲間とドリンクバーだけで粘ったファミレスの前や、帰りに立ち読みした古本屋や
人生で初めてオールで遊んだカラオケ屋とかバイトしてたドーナツ屋の前を通って、
何とも言えない郷愁を感じました。
あれから随分経って、荻窪にはもう私を知ってる人は誰も居なくて、今では皆どこで
何やってるのか分からないけど、あの時の「熱」みたいなものは、私の中で未だに私を
動かしてくれる「糧」になっています。
私はぶっちゃけ10代にあんまり良い思い出が無くて(寂)、唯一楽しかったのが小6と高3と
専門学校2年間くらいで(大人になってからの方がよっぽど楽しい)、荻窪は言うなれば
林檎の青春の街です。あの時知り合った仲間の一人は、現在も親友で(先日の林檎の
ペイントブッダ・フェスティバル発言で呆れさせたサクちゃんその人;)、私はそもそも
サクちゃんに薦められて京極を読み始めたので、彼女に会ってなかったら
今の「林檎」もこのサイトも存在していなかった訳で。
もしそうなら弥生お姉ちゃんやシュシュさんやくらげさん、益田師の方々や京極界の方々に
出逢えなかったんだなぁ…と思ったら何だか感慨深い気持ちになって、万感の想いを込めて
彼女に「サクちゃん、これからも林檎と友達でいてね」って送ったら、
10分後に返ってきたメールがこちら↓↓
『件名:なに?死ぬの?
本文:もしそうなら、年末の愚麗のチケット代を払ってからにしてくれたまえよ。
テレビ壊れて今月ピンチで、玄関前に募金箱を設置する勢いです』
……。
…うん、サクちゃんは本当にとっても良い人なんですよ(能面のような顔で)。
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