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薔薇十字団に愛を注ぎ込むブログです。
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第2話アップしました。引き続きお付き合い下さい↓






弥生は静かに、しかし僕の両の目を射るように見据えて向き合っていた。
その目の奥に光と影と静と動を宿し、それでも口調は凪いだ湖面のように穏やかだった。

「文ちゃん、号外やラジオは日本は勝つ、神風が吹くと威勢の良い事ばかり
言っているけれど、それなら文ちゃんみたいな学生さんがわざわざ試験まで
受けて軍になんて入らないはずよ。角の金物屋のおじさんも隣組のセイちゃんも
兵隊に取られたきり帰って来ない。この仙台にもいつ焼夷弾が降ってくるか
分からないし私と母さんが疎開する先だって安心は出来ないよ。ましてや文ちゃんは」
「・・・分かっているよ」

僕にはそう答えるのが精一杯だった。
淡々と話す彼女はまるで僕の知らない女のようで、
そしてその時僕は初めて弥生を「女」だと認識したのだった。

「だからこそ、僕らのような若くて体力のある者達が必要なんだろう。
戦局は悪化して来ているけれど、犠牲が出ているのは連合国も一緒だろう。
それでも南方の名も知らぬ島で地を這って直接敵と対峙する陸軍よりは、
まだ海軍の連合艦隊の方が犠牲者は最小限に抑えられていて・・・」
「やっぱり文ちゃんは何も分かってないよッ!!」

突然大声を出して激昂した弥生に僕は一瞬面食らってしまい、
言いかけた言葉の続きは紡がれる事なく、空中に雲散霧消した。

「最小限の犠牲って何?100人で戦って3人しか死ななかったら、ああ良かった
これしか死ななかったって文ちゃんは喜べるの?命は誰しも一つだよ?その3人の
大切な人達にとっては残りが97人生きてようが何の感慨も無いよ。
その3人の中に文ちゃんが入っていたら?私や文ちゃんの家族や友達は
どうしたらいいの?ましてや文ちゃんは海軍の飛行機乗りになるんでしょ?
海の上こそ逃げられないじゃないの。それに文ちゃんは遠く離れて
顔が見えなければ相手を爆弾で攻撃したり殺したりしても何も感じないの?
直接対峙するより“まだマシ”なの?!私は嫌ッ!!優しい文ちゃんが
誰かを傷つける事も、反対に傷つけられる事も、ましてや殺されたりだなんて
考えたくもないッ!!そんなの絶対に嫌ッ!嫌よッ!!嫌なの!」

感情の昂ぶった弥生の口唇はわなわなと震え、大きな瞳に満々と揺らめく
湖面はあと一つ瞬きをしたら雫となって、その健やかな頬を濡らして
しまうだろう。僕はやるせない気持ちのままポケットからハンカチーフを
出して弥生に差し出した。しかし彼女はそれを受け取ろうとせず、流れる
涙をそのままに言葉を、心を、溢れるに任せて僕にぶつけ続けた。

「いつだって傷つくのは弱い者よ。私たち女は只待つしか許されない。
上の人間は偉そうに胸に星をたくさん付けて威張っているけれど、
そんな物じゃ誰も守れないわ。日本はもうじき、そこかしこが火の海になる。
誰かを殺して、誰かに殺されて、それで何もかも無くなってお仕舞いよ!!
だったらいっそ日本は戦争になんか負けてしまえばいい。千人針を縫う布を
白旗にして皆で振れば命までは取られないでしょう。命より尊重されるべき
物なんかこの世の中に無いわ!!国民の命をまるで鉄砲の玉みたいに
使い捨てる国なんて負けて当然よッ!!」
「馬鹿ッ!止せ!!」

僕はとっさに弥生を抱き寄せ、右手で口を塞いだまま河原の背の高い
葦の茂みに倒れ込んだ。そしてそのまま息を殺して目の動きだけで
辺りの様子を伺う。今の会話を誰かに聞かれはしなかっただろうか。
僕らはどれほどの声量で話し、どこまで響いていただろうか。

今のこの時代に「日本が負ける」などと発言する事は人殺しと同等か
それ以上に罪が重く、口にする事そにものが自殺行為に等しいものだった。
特高警察の耳にでも入れば女子供と言えど只では済まされない。
捕まれば拷問されて、死ぬような酷い目に遭わされる。

・・・そして、女に対する拷問など、方法は一つしかないのだ。

「馬鹿!!誰かに聞かれたらどうするッ!今がどんな時か分かっているだろ?!
万が一お前が連れて行かれたら病気がちなお前の母さんは誰が面倒を見るんだよ!」
「だって・・・だって・・・」

子供のようにしゃくり上げながら、弥生は顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
幼い日に心ない者に父なし子と後ろ指を指された時のように。僕は急に弥生が
堪らなく不憫に思えて、それまで抱えていた彼女に対する憤りにも
似た気持ちを横に置き、弥生の震える肩に手を掛け自分の胸に抱き寄せた。

奇しくも、それが僕達2人にとって初めての抱擁になった。

弥生は僕の首筋に顔を埋めたまま、幼子にように震えて泣いている。
「・・・ねぇ、文ちゃん、飛行機乗りになったらさ、空を飛んで弥生を迎えに来てよ・・・
二人で戦争も爆弾もない所に行っちゃおうよ・・・そこで二人だけで暮らそうよ・・・」

「・・・無理だよ。そんな事は不可能だ、弥生・・・」

「“うん”て言ってよ・・・お願い、文ちゃん・・・お願いよ・・・」

「無理だ、無理なんだよ・・・そんな場所はどこにも無いんだ。
聞き分けてくれよ、僕だって好きで戦争に行く訳じゃないんだ・・・」

「なんで?酷いよ文ちゃん・・・。いつも文ちゃん、ずっと弥生と
一緒にいてくれたじゃない。弥生を守ってくれたじゃない・・・。
いつも弥生を一人になんてしなかったじゃない・・・」

「ごめんよ弥生、ごめんよ・・・」

草むらに寝転んだまま肩を寄せ合い、僕達は泣いた。

僕の彼女に対する謝罪は、彼女を残して故郷を発つ事なのか、彼女を
泣かせてしまった事に対してなのか、予科練に選抜され僅かでも誇らしい
気持ちになっていた事に対してなのか、はたまた彼女がここまで張り詰め
させていた僕への想いに、今まで全く気付かずにいて、否、気付かないふりを
していた事に対してなのか(きっと全てなのだろう)判然とせぬまま、
僕はごめんよ、ごめんよと壊れた蓄音機のように弥生に対して謝り続けた。

夢のような甘い空想に身をやつせるほど子供ではなく、現実を見据えて
明日と対峙できるほど大人にもなれず、僕達は、ただ18才と15才だった。
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