薔薇十字団に愛を注ぎ込むブログです。
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第3話アップしました。よろしければどうぞ↓↓
出発の朝はすぐに訪れ、誰もが同じ思いを抱えたまま、それでも僕の為に 家族は穏やかな時間を用意してくれた。普段から口数の少ない父は 「まあ、しっかり頑張って来い」とだけ言うと新聞を読み始め、昔から 僕を実の弟のように可愛がってくれた兄嫁は「文ちゃん、これ」と言って 小さな守り袋をくれた。「文ちゃんより一足先に戦地に行ってるあの人と 同じものだから」と。兄も出征して半年が経つ。母はこんな時代に どうやって手に入れたのか一握りのアズキを持ってきて、僕だけに赤飯を 炊いてくれた。3つ上の姉は母の横で湯を沸かしていて湯気で顔が見えない。 もしかしたら泣いているのかも知れなかった。いつも騒がしい下の弟は今日に 限っては神妙に正座しており、それをまだ幼い兄嫁の子(姪)が不思議そうに見上げていた。 噛み締めるように朝食を取り、網膜に焼き付けるように家の中と外をゆっくり歩いた。 身長を測った柱の傷、幼い頃は薄暗くて怖かった厠、悪さをして閉じ込められた 押し入れ、天井の木目が猫の顔のように見える客間、家族で囲んだ広間の ちゃぶ台、勉強机、どれだけ潜っていられるか兄弟で競った風呂場、 秋にはたわわに実る庭の柿の木、芳しい金木犀・・・。 どれもこれも見慣れていて、それでいて何時まで眺めていても見飽きる事が なかった。僕を今日まで守り育んでくれたもの。優しい空気。温かな思い出。 ・・・今度は僕が守らねばならない。 「文蔵、そろそろ・・・」そう母が声を掛けてきた。 汽車の時間にはまだ余裕があったが、近所の者への挨拶などもある。 うん、と返事をして振り向くと、母の目は真っ赤に腫れていた。 あくまでも予科練に入学するのであって戦地に出征する訳ではないから、 大勢で万歳三唱して小旗を振る訳ではないが、挨拶に行く先では皆が笑顔で 「文蔵くんは本当に優秀で」とか「必ず飛行隊で敵機を打ち落とす大活躍を するに違いない」とか「村の誇りだ」とか口々に誉めそやしたから、 もともと能弁でない僕は恐縮し、「ご期待に添えられるように頑張ります」と 早口で言って、ぴょこんと頭を下げるだけで精一杯だった。 最後に訪れた桐野家の表札を前にして、僕は少し逡巡した。 あの日、草むらで涙が乾くまで身を寄せ合っていた僕達は、 それから会話らしい会話もないままお互い帰路につき、別れた。 それ以来2人で改めてあの時の話をする事もないまま今日に至る。 ただあの日、暗に好きだと告げられて何も言葉を紡げない僕に対して、 弥生がぽつりと漏らした言葉が今も頭から離れなかった。 「私がずっとこんな気持ちでいた事、文ちゃんは知らなかったでしょう。 だから文ちゃんは朴念仁なのよ」そう言ってふわりと笑った弥生。 学校でどれだけ知識を身に付けても、家でどれだけ勉強しても、教科書にも 参考書にもそんな項目はどこにも載っていない。一番大切なものは、 穏やかなで平凡な日常の繰り返しや、ちょっとした感情の機微や、 お互いの間に流れる空気の色や温度の中から感じ取り、一つ選び出し、 種を植え、水をやり、光の中で育んで、一輪の小さな花として咲かせるべきなのだろう。 それすら分からなかった僕は、確かに野暮な朴念仁であり、 弥生にからかわれても返す言葉もない。彼女はきっと僕のそうした性質を 見抜いていて、これから訪れる別れに先立ち、先陣を切って僕の背中を押したのだろう。 目標を持てば努力も寸暇も惜しまず没頭する質の僕が、 故郷に再び戻る為の力を失わぬように。私の為に生きて帰って来てと。 それが自意識過剰だと笑い飛ばせぬほどの時間を、 僕達は生まれた時からずっとずっと積み重ねて来たのだから。 PR |
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益田は正義だと信じてやみません。若者とオッサンを幸せにする為に奮闘する日々。
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