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薔薇十字団に愛を注ぎ込むブログです。
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第5話。
長くなったので前半と後半で分けました。





ママに連れて行かれたのは町外れの小さな病院だった。
これを言うと少し変わってるって言われるけれど、僕は病院の
消毒のアルコールの匂いが好きだった。嗅ぐだけで体の中が殺菌されて、
綺麗になれる気がするから。だから深呼吸して体いっぱいに吸い込むんだ。
僕の中の汚い「何か」が体から出て行くように。

病院では聴診器を当てられて扁桃腺の腫れを調べた後は、お医者の先生と2人きりにされて
色々な質問をされるだけだった。パパやママは厳し過ぎないかとか、ピアノは僕にとって
負担なんじゃないかとか、一人っ子で寂しくないかとか。

どれも僕には当てはまらなくて、僕は首を横に振り続けた。
こんなの、近所のおばさんの興味本位の質問と変わらないや。
これで僕の何が分かるって云うんだ。

先生は隣の部屋で待ってたママにこう説明した。

「思春期は何かと難しい時期ですから。声変わり等の急激な体の変化に
心がついて行けないのです。お子さんは少し神経質な部分が見受けられますので、
ご家庭では過保護になり過ぎないように見守る事が大切です」

僕は声変わりの事なんて何も聞かれなかったのに。
パパもママもピアノも好きで、一人っ子でも寂しくない人間は神経質なんだろうか。
ママは先生に丁寧に何度も頭を下げて、僕と病院を後にした。
帰り道、ママは僕と手を繋ごうとしたけれど、なんだかママと手を繋ぐ事が
急に恥ずかしく思えて、僕は気付かないふりをして先を歩いた。

家に帰るとママは、パパに今日あった事を報告していた。

「龍ちゃんは確かに他の子に比べて少しナイーヴだけれど、それは
あの子が優しい証拠だわ。乱暴な子より全然いいわよ。ねぇ、健一さん」

“ナイーヴ”って一体何だろう。それは悪い事なのかな。

ギシギシ痛む関節と低くなった声を持て余しながら、僕はパパとママが僕抜きでする
僕の話を,壁に耳を当てていつまでも聞いていた。

いつまでもパパとママの「可愛い龍ちゃん」で居られない事が、悲しくて仕方なかった。

子供より大人の方が、女より男の方が、力が強い。体も大きい。
以前の僕にとって「大人になる」と云う事は、強くて逞しいパパのように、大切な家族を
守る為の力を手に入れる事だと思っていた。

でも「あの事件」以来、僕の中の考え方も少しだけ変わってしまった。

大人になると云う事は、「弱い者を自分の思い通りにする為の力」が
手に入る事でもあるんだ。ーーー僕には、その事実が堪らなく恐ろしかった。





それから数年後、僕の「ナイーヴな思春期」は戦争によって全てぶっ壊され、
世の中は国防色に塗り潰された。学校とピアノ教室の往復が世界の全てだった少年時代は
強制的に幕を下ろし、戦争中はピアノを弾く事は許されなくなり、僕の指先は鍵盤を離れ、
軍需工場の機械油にまみれて真っ黒になった。「パパ」「ママ」と云う呼び方も、
外来語が禁止された世の中で口に出せるはずもなく、「父さん」「母さん」と云う呼び方に
改めざるをえなくなった。

僕はあの事件に関する話は誰にも話さなかった。
それでも僕は、空襲警報に怯えながらも日本軍の飛行機が
“あの男”の頭上に爆弾を落としてくれる事を願った。

それから更に数年後、日本の敗戦を知らせる玉音放送がラジオから流れ、
僕の身体は完全に大人のそれと変わらなくなった。

日本は何もかも失くしてしまったけれど、生き延びた人々はそれでも明日への希望を失わず、
倒壊を免れた我が家では、母さんが久しぶりに蓄音機を回しながら
「ご覧なさい、爆弾も鉄砲も私達から音楽だけは奪えなかったわ」と嬉しそうに胸を張った。



それから暫くして、僕は悪友に連れられて夜の街に繰り出した。

郊外には戦時中に禁止されていた娯楽を求めてバラックやテントでイカサマ賭博などの
博打小屋が乱立していた。そこで水で薄めたメチルみたいな酒や得体の知れない摘みを肴に
シケモクを吹かして大人ぶってる連中の横で、僕は居心地の悪い思いをしながら
汚れた空気を吸っていた。 仲間の一人が口を開く。

「そう言えば龍、お前もう“コレ”知ってるか?」

そう言ってクイ、と小指を立てて見せる。僕は意味が分からず聞き返した。

「これって何さ?」
「馬鹿、コレって言ったら女に決まってんだろう」

やけに偉そうに、そいつは壁にふんぞり返った。僕は呆れる。

「ある訳ないだろ。ついこの前まで学徒徴集だの空襲警報だのって
言って国中挙げてドンパチやってたのに」

やっぱりな、とそいつは自分で聞いてきた癖に勝手に納得して、それからやおら立ち上がった。

「行くぞ」

どこに?そう問い掛ける前に友人はやけにきっぱりと「勉強させてやる」と言った。

連れて来られたほったて小屋のようなバラックの中には、痩せた若い女が
襦袢一枚のしどけない姿で月明かりに照らされていた。

僕は当然、女の人の体なんてまじまじと見た事が無くて、目のやり場に困って
モジモジしてしまう。悪友はそんな僕の様子をニヤニヤしながら見つめ、女にこう言った。

「清子、こいつは女を知らないんだ。筆下ろしさせてやってくれ」

清子と呼ばれた女は「へぇ、可愛い坊やじゃないか」と言いながら僕ににじり寄って来た。

「あらまぁ震えて。怖がってるのかい?
なに、大した事じゃないさ。姐さんがたっぷり可愛がってあげるよ」

安物の香水臭い女に言い寄られた僕は、弱ってしまって友に視線で助けを求めるが、
奴は相変わらずのニヤニヤ笑いで

「良かったなぁ龍。そいつは俺の馴染みの女で、“清子”なんて名前だが大したアバズレだ。
何も遠慮する事は無いぜ。色々教えて貰え。俺はもう一発打ってくるから。じゃあな、龍」

そう言って部屋を出て言ってしまった。

「あ、あの…」

僕が本格的に途方に暮れていると、女が言った。

「さぁさぁ、いつまで縮こまってるんだい。妾に恥を掻かせる気かい?」

女は、突然の事態に言葉を失ってなかなか行動しない僕に焦れったそうにしていたが、
何か思い付いたようにニヤリと笑うと僕の開襟シャツのボタンに手を掛けた。

「坊や、モジモジしてたってちゃんと付くもの付いてるんだろう?
日本男児なら、いざって時に“役立たず”じゃいけないよ。
大人しそうにしてるけど、本当はこういう事がしたくて堪らないんだろう?男なんて皆そうさ」

そう言うと女は僕の体を湿っぽい畳の上に押し倒して
ズボンの前を寛げると、僕の性器をきつく握り締めた。

「ちょっ!?あの、清子さん、止めて下さい!!僕はそんなつもりで来たんじゃ…!!」
「やっと口を利いたと思ったら往生際が悪いねぇ。姐さんが折角“
使えるように”してやろうってのに。いいから静かにおしよ」

そう言って女は僕の下履きから性器を取り出すと口にくわえ込もうとした。

毒のように紅い爪。
紅い口唇。
噎せ返るような香水の匂い。

その瞬間、脳裏に蘇る忌まわしい記憶。
ぬるりとしたナメクジのような感触。
犬のような荒い息遣い。

僕の体が、意識が、目の前の事象を全力で拒絶する。

「止めろ!僕に触るな!!」

僕は無我夢中で女を引き剥がすと、勢いで畳に叩きつける形になってしまった。

「痛いじゃないかッ!何するんだい!」女がいきり立つ。

「上等じゃないか。そうやってお上品ぶってたってアンタだって所詮は男さ。
男なんて自分の欲望目の前にしたらどんなに取り繕ったって中身は一緒だよ!
自分だけお綺麗でいようったって、そうは行かないよ!」
「うるさいッ!!僕を“アイツ”と一緒にするな!!」

僕は無我夢中でズボンをたくし上げてベルトを締め直すと、
まだ何か喚いている女を尻目に、一目散に表に飛び出した。


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