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薔薇十字団に愛を注ぎ込むブログです。
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「邪魅の雫」文庫版発売を記念しまして、益田一人称SSです。
益田が強姦や暴力にあれだけ拒否反応を示す理由と過去を捏造してみました。

※一文字も「益田」という単語を使わずに書いていますが、これは益田小説です^^;

全6話です。続きからどうぞ↓↓

 








今朝、郵便受けを覗いたら無邪気な子供時代の終わりを告げるエアメールが届いていた。


嗚呼、



『さよなら、僕の回転木馬』



僕の家は決してお金持ちではなかったけれど、働き者のパパと、優しいママと、
ピアノが大好きな僕と。僕達3人は誰から見ても幸せな家族だった。

僕の家は横浜港から少し離れた住宅街で、赤い屋根に白い壁の文化住宅。少し前まで
狭い長屋に住んでいたけれど、この夏にパパが思い切って引っ越しを決めたんだ。

板張りの洋間に大きなテーブルを置いて、ベランダからは港と青い海が見渡せる。
窓を開けると吹き抜ける潮風が気持ちいい。

「まるで外国の暮らしみたいだね」ってママに言ったら、
「龍ちゃんは大袈裟ねぇ。間違ってもピアノのお教室でそんな事は言わないで頂戴よ?
あそこはお金持ちのお子さんが多いんだから、恥ずかしい思いをしますよ」 って
苦笑いされてしまったけれど、僕はそんな事ないって思った。

少なくとも僕の小学校にはテーブルでご飯を食べている子なんて居ないし、
パパの蓄音機で外国の唄のレコードを聴きながら、ママが珈琲を淹れたりしない。
港近くのピアノ教室に通ってる子だって居やしない。あと、親をパパママって呼んでる子も。

こういうのを「モダン」て言うんだって。
「近代的って意味よ」ってピアノの先生が教えてくれた。

僕にとって、お家もそうだけど、パパとママの事も自慢だった。
ママは他のお母さんみたいに着物に割烹着なんて着ない人だった。
白いブラウスに若草色のスカートを履いて、レースの付いたエプロンを着て、
長い髪を緩く一本の三つ編みにして花柄のスカーフで巻いている。

外に出る時は白い日傘を差して踵のある靴を履いて、放課後に校門の前で
僕の楽譜の入ったカバンを持って「龍ちゃん、ピアノのお稽古の時間ですよ」って
いつも僕を迎えに来てくれるんだ。

皆と校庭で遊べなくて可哀相、なんて言われた事もあるけれど、僕は全然気にならなかった。
僕の家にはピアノが無いから、お稽古の時しかピアノに触れないんだ。
家で練習する時は、ママが画用紙を何枚も横長に張り合わせて描いてくれた鍵盤で
指を動かす練習をするしかなかったから、むしろ教室に行くのが待ち遠しかったんだ。

教室に通ってくる他の子達は皆、丘の向こうのお金持ちの子が通う小学校から
車に乗ってやって来る。歩いて通っている「庶民の子」は僕だけだったから、ママは
僕が恥ずかしくないように、お稽古の日は桜色のワンピィスを着たりして、
いつもよりお洒落だった。それが僕にとっては自慢の一つだった。

僕は、僕のママより美人な人なんて世界中探しても居ないって信じてた。
それから、これは自分で言うのは変かも知れないけど、お部屋に大きなグランドピアノがある
お金持ちの家の子達よりも僕の方がピアノが上手だった。

エナメルの靴を履いた女の子より、黒い車で爺やさんが迎えに来る男の子より、
画用紙の鍵盤で練習した僕の指を、ピアノは歓迎してくれた。
白と黒の上を指が滑る度にピアノが綺麗な声で歌ってくれるのが嬉しくて楽しくて、
僕は夢中で小さな手を動かし続けた。

「今の所は龍一くんをお手本に弾いてみましょう」

楽譜に花丸を付けながら先生がそう言ってくれるのも嬉しかったし、上手に弾けると右手に
星の形のシールを貼って貰えるのも嬉しかった。
そして、僕が上手に弾けばママが誰よりも喜んでくれた。

「とっても上手だわ。ママの小さなピアニストさん」

そう言ってギュッと抱きしめてくれた。・・・僕にはそれが何よりも一番嬉しかった。



ピアノの日は、実はもう一つお楽しみがあった。
行きはママと一緒だったけれど、帰りのお迎えはパパが来てくれるのだ。

写真館で働いているパパは、夕方の「夕焼けこやけ」のチャイムが鳴ると自転車で
僕を迎えに来てくれた。僕を自転車の後ろに乗せて「龍、しっかり掴まってろよ」って
言いながら長い長い下り坂をびゅんびゅん漕いだり、ママが「歯が溶けちゃうからダメ」って
言って買って貰えない青いソーダ水を内緒でこっそり買ってくれたり、港から出る船を
見に行ったり浜辺に降りて追い駆けっこをしたりした。

それからパパは砂浜に打ち上げられた物を拾うのが趣味だった。
パパのお眼鏡に叶うそれらは不思議な形の流木だったり、外国語の書いてある瓶だったり
大きな貝殻だったりして、それを見つける度に、

「見ろ、龍。これは海賊が遥か彼方、大西洋に投げ捨てた酒の瓶だ!」

・・・なんて言いながら子供みたいにニカッと笑った。
そうして七つの海を冒険してきたウィスキーの瓶は流れ流れてパパの物になるんだ。
その日に収穫した大量の“お宝”を自転車の前籠に積んで帰る道すがら、
僕は今日一日の出来事をパパに報告した。

パパは僕が何か言う度に「そうか」「偉いぞ」「流石はパパの子だ」と言ってくれた。
僕が「パパとママの子だよ」と言うと、パパは「そうだった、そうだった」と言って豪快に笑った。

パパは優しくて格好良くて何でも出来る、僕のヒーローだった。



家に帰ると夕飯の支度をしていたママがエプロンをしたまま出迎えてくれたけれど、
パパが両手に抱えた物を見つけては「またそんなガラクタを拾って来て!」と目を三角にした。
パパにとっては“七つの海を渡って来たお宝”でも、ママにとってそれらは全部
“下らないガラクタ”だった。

「必要ないモノをこれ以上増やさないで頂戴!」と怒っているママに聞こえないように、
小さな声でパパが「ママは女だから男の浪漫が分からないんだ」と言った。

本当はママに捨てられないように、物置きの奥と押し入れの天井裏にもパパの“宝物”は
眠っているのだけれど、それは僕とパパしか知らない「男と男の秘密」だ。

・・・それでもパパとママはとっても仲良しだった。僕の前では呼ばないけれど、
二人だけの時はお互いを「健一さん」「彩子」って呼んでるのも知ってるんだ。

パパとママは結婚する時にお互いの家に凄く凄く反対されて、それでまだ若かった
パパとママは手に手を取ってこの海沿いの街にやって来たらしい。
「愛の逃避行さ」とパパは前に教えてくれた。

神奈川を選んだ理由は、
「パパもママも海の無い場所で育ったから、海岸沿いの街が憧れだった」のだそうだ。

だから僕はお祖父ちゃんお祖母ちゃんに会った事が無い。
親戚や従兄弟が何人いるかも知らない。パパとママがどこで生まれ育ったのかさえ。

でも、こんなに仲の良いパパとママを引き離そうとするなんて、きっと意地悪な人達に
違いないから、僕は別に会いたいって思わなかった。

人から「一人っ子で寂しくない?」って聞かれた事もあったけど、そんなの全部感じた事も無い。
だって一人っ子の方がパパとママを独り占め出来るもの。
それに僕の家はお金持ちじゃないから、兄弟が居たらきっとピアノを辞めなくちゃいけなくなる。
そんなのは絶対に嫌だ。僕には、大好きなパパとママとピアノがあればそれで十分なんだ。
 

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益田は正義だと信じてやみません。若者とオッサンを幸せにする為に奮闘する日々。
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