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薔薇十字団に愛を注ぎ込むブログです。
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★第10話です。


【幸福】(名詞)
意味:自分の心が満ち足りている状態であると本人が感じている様。
    何一つ不安や悲しみ、憤りのない、恵まれた精神状態の事。
類義語:しあわせ、さいわい

【愛情】(名詞)
意味:損得感情抜きで、相手を慈しみ、尽くそうとする気持ち
   物事や相手を心から大切だと思う気持ち
   相手を恋い慕う気持ち


・・・三/省/堂/国語辞典より抜粋。
 








カチリ、と云う耳慣れた金属音を聞いて青木の意識は急激に浮上した。

薄く目を開けると、郷嶋が自分の隣で上体を起こして紫煙をくゆらせていて、
当の青木は郷嶋の手によって肩まですっぽりと布団に覆われていた。

「…寝煙草は危ないよ」

その声に気付いた郷嶋が、短くなった煙草を灰皿に押し付けて青木の方へと視線を寄越す。

「起きてたのか」
「…いま目が覚めた。僕、どれ位寝てた?」
「まだ1時間も経ってないぜ。朝まで起きねぇだろうと思ってた」

言われてみれば、腹の辺りや下肢が綺麗に拭われており、
先程の情交の痕跡は身体に残された倦怠感だけだった。
そこで青木は、郷嶋が手に持っている物に気付いて手を伸ばす。

「ねぇ、喉乾いた。それ頂戴」
「…そりゃ、あんだけひっきりなしに啼いてりゃ喉も乾くだろうよ」

てかお前、いい加減俺が持ってるもの欲しがる癖やめろよな、そう言いつつも
郷嶋から案外すんなりと手にしたビールの缶を手渡され、青木はもぞもぞと
身を起こして一口、ゆっくりと口を付けた。

・・・が、次の瞬間、青木は盛大に顔をしかめる。

「何これ、ぬるっ!てか不味っ!」
「だってそれ、お前の飲みさしだし」
「何時間前のだよ…」
「あー、2時間前?」
「捨てなよ…」
「勿体無ぇだろ」
「けち」
「刑事ってのは薄給なんだよ」

嫌なら飲むな、そう言って郷嶋は青木の手からすっかり気の抜けたビール缶を
取り上げると、ベッド脇のチェストの上に押しやった。そこで郷嶋はある物に手を伸ばし、

「薄給ついでに、いい物やろうか」

と言って青木の腕を掴んだ。

「いい物って何?」
「いい物はいい物だよ。いいから手ぇ出しな」

そう言って郷嶋は青木の左手を取り、

「給料3ヶ月分だ」

と言って、そっと“ある物”を薬指に填めた。

「郡治…これ…」
「気に入ったか?」


青木は虚を突かれたような顔をして自身の左手を眺め、それから郷嶋に向けて一言、



「これ…ビールのフタじゃん…」



と言って己の薬指に填められたアルミ製のプルタブを見つめ、盛大な溜め息を吐いた。

「何が給料3ヶ月分だよ…これ、ただのゴミじゃない。普通こういう時って
 流れ的に本物の指輪が出て来るんじゃないの?ちょっと期待しちゃったよ」
「だから薄給だって最初に断っただろ。人の話を聞いてねぇのか」
「ちゃんと聞いてたってば。聞いた上でも要らないから、普通に」

しかも危ないでしょ。こんなので手でも切ったらどうするの、
そう言って青木は呆れたように薬指のプルタブを外すと、ベッド脇の
ゴミ箱の中に捨てようとした。それを空かさず郷嶋が止める。

「おいおい、捨てる事ねぇだろ」
「だから要らないったら。そんなに欲しけりゃ郡治にあげるよ」

青木は仕方ないとばかりに郷嶋にそれを押し付けようとするが、郷嶋は

「これはお前が持ってないと意味が無ぇんだよ」

と言って頑として受け取ろうとはしなかった。

「俺がそれ貰ったら“逆”になっちまうだろうが」
「逆って何が?さっきから何の話してるのさ。
 ねぇ、まさかあんな気の抜けたビール飲んで酔ったとか言わないでよね」
「全く、ごちゃごちゃ煩ぇなあ」

そう言うと郷嶋は、まだ何か言いたげな青木の口唇に、半ば強引に口吻けた。

「んっ…ふぅ…」

ちゅる、と濡れた音を立てて口唇が離れると、益々もって青木は当惑したような顔をした。
先程からの郷嶋の行動は脈絡が無さ過ぎて、思考が追い付けなかったのだ。

「ねぇ、まさか本当に酔っ」
「・・・結婚しようか、文蔵」


酔ってるの、と云う言葉は郷嶋の放った予想外の言葉によって遮られた。

「…なぁ、知ってるか?好きな相手に指輪渡して、口吻けて“結婚して下さい”って言えば、
 その場で結婚できるらしいぞ。凄ぇだろ。役所も面倒な手続きも誰の許可も要らない、
  画期的なシステムだと思わないか」
「何それ…誰が言ったの?そんな事」
「さっちゃん。昼間、あの子が教えてくれたんだ」
「そう…」

青木は捨てようと思っていたプルタブを思い直して手の中でそっと握った。
何を馬鹿な事をと笑い飛ばす気には、どうしてもなれなかった。

「正式に籍入れるのは無理だ。でもな、例えば養子縁組って手もあるだろ」

想定外の郷嶋の言葉に、青木は瞬時に言葉が出て来ない。
それでも、やっとの思いで何とか言葉を振り絞る。

「…養…子?」
「ああ。同じ戸籍に入るなら、それが一番手っ取り早い。
 …てか、それ以外に一緒になる方法は今の時点では無いんだけどな。
  俺は住民票も一定収入もあるし、何より公務員だから条件は満たしてる。
   俺の方が年上だから、形式上は俺が養父でお前が養子だ。
    お前は名字が変わるから、事務手続きやら何やら多少面倒だけどな」

「それって…僕が、郡治の息子になるって事…?」

急な話の展開に頭がついて行けない。

「形の上ではな。ただ、一度手続きしちまえば俺達はその時点で
 “赤の他人”じゃなくなる訳だ。万が一の時は遺族年金も入るし、
  財産分与も出来る。…将来、同じ墓に入る事も出来るんだぞ」
「郡治…」

将来、と云う単語に郷嶋の決意を感じて、青木は鼻の奥がツンと痛くなった。

「…どうやったら、お前がこれ以上不安がらないで済むか、
 俺なりに考えた結果だ。…どうする?」

どうすると言われても、自分達の職種や世間からの風当たりを考えれば、
この提案が現実的でない事など、お互い分かりきっていた。それでも―――

青木は手の中のプルタブを再び薬指に填めようと試みる。
だが、台形を丸くしたような不完全な円では、第一関節までで引っ掛かってしまう。

目を閉じて青木は想像する。もしも自分が女だったなら、
この指には真円の指輪が填まっていたのだろうか。

中心に綺麗な石をあしらった、内側に相手の名前を彫った、“永遠の誓い”の具現化。
そして自分は何の疑問も抱かず、相手の申し出を受け入れるのだろう。
役所では当然のように2人の届けは受理され、職場の上司や同僚、友人知人らに祝福され、
晴れて同じ姓を名乗るのだろう。そして時が来れば自分達は母となり父となり、やがては
平凡で温かな「幸せな家庭」とやら築く日が来るのだろう。

自分が女だったなら。

これらの事象は全て空想や夢物語ではなく、「当たり前」の「現実」として手に入れる事が
出来た筈なのだ。相手の血を、自分の骨を、かつて互いが互いの両親から
受け取った連綿とした、脈々とした、偉大にして無二のものを次の世代に繋げる事が
出来たのだろう。そしてまた、それらは繰り返し繰り返し―――。

そこで青木はゆっくりと目を開ける。指に填まっているものは、
目を閉じる前と寸分違わぬ不格好なアルミの輪である。

青木は己の内側に問い掛ける。
それでは今、自分達は果たして不幸なのであろうか?


―――答えなど、既に考えるまでもない。


青木は、郷嶋の胸に顔を寄せると
「…ありがとう、郡治」
そう言って穏やかに微笑った。
「でもね、」
青木は指に填めたアルミの輪を、光に翳すような仕草をしながら言葉を紡ぐ。

「でも…今の僕にはこれと、今のその言葉だけで十分だよ」

この性で、この個で、この体で、自分達は出逢ったから。

「じゃあ…いいのか、今のままで」
「うん。今の僕には必要ない。郡治のその気持ち、聞けただけで満足だから」
「そうか」
「うん」
「…そうか」
「…うん。もう充分だよ…」

ありがとう。
ありがとう。
それだけでもう、何もかもが。

「それに…僕が“青木文蔵”だって事に
 意味があるんだって、郡治もさっき言ってたじゃない」
「ああ」
「それにさ…僕、郡治の事は確かに父親にしてあげたいって
 思ってたけどさ、僕は“自分の父親”とこういう事するつもり、無いんだよね」

ねぇ、お父さん?そう冗談めかして首筋に腕を回す青木に、郷嶋は

「確かに、お前が俺の“息子”ってのもゾッとしねえ話だなぁ」

しかも随分と育ち尽くしてまぁ、そう言って笑いながら郷嶋は、
相手の薄く開いた朱唇にそっと口吻けた。 青木も釣られてくすりと笑う。

「やっぱり僕達、“他人”で丁度いいや。郡治もそう思わない?」

だって、それなら自分達の意志で結び付こうと必死になれるもの。
互いに心を繋ごうと、只々ひたむきになれる。それこそが、一番大事な事だから。

「僕はね、もし明日郡治と別れる事になったとしても…今、一緒に居たいんだ。
 明日の事なんて誰にも分からないから、だから今、この時を一緒に生きてたい。
  そうやって“今”をずっと大切にして、ずっとずっと続けて行けばさ、
   それが一週間、十日、1ヶ月、一年て続いて行って、それで本当の最期の時に
    “ああ、自分はずっとこの人と一緒の人生だったな”って思えるんじゃないかなって、」

そう思うんだ。どうかな?
そう言って首を傾げる青木の髪をくしゃりと撫で、郷嶋は

「そうだな」

と言って満足そうに微笑った。

偶然と必然と運命が重なって、2人で出逢って気付いたもの。
これからの2人が築くもの。
日常の下らなくて馬鹿馬鹿しい、取るに足らないちっぽけな事でも、
2人で大切に大切に積み上げ、絆として育てて来た。
それこそが、一番大切な自分達の“証”だから。

「そろそろ寝るぞ。明日はあの子を見送らないといけないだろう」
「うん、そうだね。もう寝ないと」
「文蔵、」
「なあに?」
「…愛しているよ」
「…うん、僕も」


「「おやすみ」」


ほら、今の僕らに恐れるものなど何も無い―――。



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