★第7話。
郷青は、どっちも「自分の方が相手の方を、より好きだ」と思っていると良いです。
青木は、目の前で起こった事態を上手く飲み込めずにいた。
「う、嘘だぁ…」
「まだ言うか、このガキ」
郷嶋はチッと舌打ちすると
「お前はとうとう自分の顔も分からねぇようになったのか。相当な重症だな。
明日あたり里村の所に行って、その弛んだ頭のネジを締め直して貰って来い」
と言って、そのままどさりと床に座った。
「だって、だってさぁ…」
青木もぺたりと郷嶋の横に座り込む。と、云うより足に力が入らず
立っていられなかったと云うのが正しい見解ではあるのだが。
「郡治さっき、自分で言ったじゃないか。結婚したくても今のままじゃ出来ないって、
自分ではっきりそう言ったじゃないか…!」
だから、僕は…そう言って再び肩を震わせる青木に、郷嶋は
耳元までにじり寄ると一言、この大馬鹿野郎!!と怒鳴って
呆れたような大きな溜め息を吐いた。それからバリバリと乱暴に自身の髪を掻き回す。
「あのなぁ!男同士で一体どうやって結婚するって言うんだ!本人同士に
そのつもりがあってもな、日本は法治国家なんだ、いくらしたくっても国の許可が無けりゃ
出来ねぇだろうが!ちゃんと一定の手順踏んで、役所で紙きれに判子突いて、それが
受理されなきゃ無理なんだよ!そんでもって今現在、同性同士での婚姻は法律で
認められてねぇんだ!そんな事も知らねぇで警察やってんのかお前は!さっきから
黙って聞いてりゃ勝手な事ばかりべちゃべちゃ並べ立てやがってこの馬鹿が!!
そんなに俺と別れてぇなら荷物纏めてとっとと出てけ!そんで部屋が見つかるまで
お前の好きな下駄刑事か中禅寺の家にでも居候させて貰え!!」
全く、こっちはお前に頼まれた通りさっちゃんの面倒を見て、メシまで作って
待っててやったってのに、何が不満だってんだ畜生、馬鹿も休み休み言わねぇと
今度は二階の窓から放り出すぞこのクソガキ!!…ぶつぶつと自分への悪態を
吐き続ける郷嶋を、青木はポカンとした顔で見つめている。
そして恐る恐る、相手の顔色を伺いつつ口を開く。
「ねぇ…あのさ、」
「あぁ?なんだよ?」
ギロリと音がしそうなほど鋭く睨まれ、思わず肩を竦める。
しかし、そこには先程まで感じていたような底冷えするような恐怖は、
もう微塵も残っていなかった。
「もしかして…郡治が結婚したいって思ってる相手って…僕なの?」
「お前なぁ…!!」
あぁ、くそッ!ガシガシと髪を掻きむしるようにして郷嶋はそう吐き捨て、それから
「だからそうだって言ってるだろうが!!皆まで言わすな!察しろ!!」
と叫び、手前が勝手に一人で勘違いだか早とちりだかして騒いでただけじゃねぇか!
お前みたいな救いようのねぇ馬鹿は豆腐の角に頭ぶつけて一遍死にやがれ、このタコ!!
そう言い、とどめにゴン!と青木の頭を拳骨で一発殴った。
郷嶋からの人生2度目のバイオレンスに、青木は今の自分の発言や、つい今しがたの
自分の狂乱ぶりが彼にとって「よっぽどの事」であったのだとまざまざと思い知るのだった。
へなりと力の抜けた顔で、青木は笑う。
「なぁんだ、良かったぁ…」
「何がだよ。俺はちっとも良くねぇよ」
盛大な溜め息を吐く郷嶋に、青木は正座の姿勢のまま腕の力だけで
ずい、と横に並び、その肩に甘えるようにもたれ掛かった。
邪険にされないのを良い事に、青木はそのままの姿勢で話し始める。
「僕が…郡治の足枷になっちゃいけないって思ったんだ」
「足枷?」
「僕らは男同士だし、郡治との事、僕は少しも後悔してないし
恥ずかしい事なんて何も無いけど、やっぱり世の中には
大っぴらに出来る関係じゃないって事も、ちゃんと分かってるから」
「…別に言いふらすような事でも無ぇだろ」
「うん。それはそうなんだけど…でも、やっぱり祝福されない関係だって事は
分かってるから、それが全然辛くないって言ったら嘘になる」
「…祝って欲しいのか」
郷嶋の問い掛けに、青木は緩く首を横に振った。
「別に、皆に祝って欲しいとかそう云う訳じゃないけど…さっき郡治が言ってたみたいに
役場に届けを出したり、そういう形としての“証”がある訳じゃないから、お互いの気持ちが
強く結び付いてないと、蝋燭の火が消えるみたいに、呆気なく終わっちゃう気がして…」
「そんなの、男と女にも言える事だろう」
「それはそうなんだけどさ…」
そこで青木は咳払いを一つした。
さっきから泣いたり喚いたりしていたせいで喉がカラカラだったのだ。ちょっと待ってろ、と言って
郷嶋は立ち上がると、冷蔵庫から何やら取り出して戻って来た。ほれ、と半ば放り投げるように
渡されたそれは一本の缶ビールだった。有り難う、と言いながら受け取り、子供のように
缶を両手で持って口を付けた。アルコールが体の細胞一つ一つに沁み渡るような、
そんな心地良さに青木は目を細める。
「…僕は、郡治を“父親”にしてあげられないから…。だから、“その時”が来たら、
僕は笑って郡治の手を離してあげなくちゃいけないって思ったんだ」
「…」
その言葉を口に出し、ふぅ、と深い溜め息を吐いた途端、再び目頭が熱くなって涙が零れた。
摂取した水分が全て涙腺に回ってしまったかのようにポタポタと出続ける涙に閉口して、
青木は己の手の甲で子供がするようにゴシゴシとそれを拭った。
「早紀と一緒に台所に立つ郡治の姿が、
本当に本物の親子みたいだったから、そこでハッとしたんだ。
郡治は僕と居る限り、こう云う“普通の幸せ”は手に入らないんだって」
青木のその言葉を聞いた郷嶋が、静かに問い掛ける。
「…なぁ、さっきから思ってたんだが、お前の云う“普通の幸せ”って何だ?」
「それは…」
「嫁さん貰ってガキ作って、庭付き一戸建てに住む事か?
それで幸せになれるのか。随分と貧相な考えだな」
「…でも、」
「デモもストも無ぇよ。じゃあ聞くけどな、子供の出来ない夫婦はどうなるんだ。
そんな夫婦、世の中に五万と居るだろう。女房が子供の産めねぇ身体なら
自分は幸せになれねぇって、そいつを追い出して別の女に乗り換えるのか?
男が種無しだったらどうだ、父親になれぬ我が身を悲観して、鴨居で首でも括るのか」
「そんな…」
「可能性が全く無いって事はねぇだろ。それに“自分と居たら父親になれない”って話なら、
お前だって同じだろうが」
「それは…でも僕は、郡治と居られればそれで幸せだから、」
「だったら!!」
郷嶋はグッと青木の襟首を掴み、相手の瞳に己の姿が映るほどに接近する。
「だったら俺もお前と同じ気持ちだと、なんでお前は信じねぇんだ!!」
「ぐ、んじ」
「お前はずっとそう云うつもりでいたのか?俺が無理してお前と一緒に居るって。
お前といるせいで俺は自分の人生を犠牲にしてるって。俺は父親になりたくてもなれない
可哀相なヤツだって?ふざけるな!勝手に決め付けやがって!あのなぁ、伊達や酔狂で
男を抱くほど俺は物好きじゃねえし暇でもねぇんだ!女に不自由してる訳でもねぇ!
いいか、俺がお前を選んだのは、」
ぐい、と腕を引かれてその広い胸に顔を埋める。酒と煙草と微かに香水の匂いがする。
これは郷嶋の匂いだ。
これは自分の愛する男の匂いだ。
青木は深く深く息を吸い込む。肺の奥まで幸福で満たされ甘く痺れる。
薄い肩を抱くようにして郷嶋が鼓膜に直線言葉を送り込んだ。
「俺がお前と共に在りたいと願ったからだ」
―――理由なんて、それだけで充分だろう。
「ぐんじ、郡治、う、あぁ…」
嗚咽に飲まれ、それ以上の言葉を紡ぐ事の出来ない青木の髪を、
郷嶋は仕方のない奴だとばかりに乱暴にぐしゃぐしゃと掻き回してやりながら、
「酷ぇ面だなぁ、折角の俺の決めの台詞が台無しじゃねぇか」
―――そう言って小さく笑った。
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